「何も言わないけど、気づいてほしかった」
HSPの妻と暮らす中で、私が最も戸惑った言葉のひとつです。
“察してほしい”という気持ちがあることは、理解しているつもり。でも正直なところ、どう動けば正解かわからない。
今回は、そんな“察すること”への葛藤と、その中で私が見つけた「できること」について書いてみたいと思います。

「言わなくてもわかってほしい」――妻の本音
ある日、妻が夕方からずっと静かだった。
晩ごはんの準備をしてくれていたけれど、どこかぎこちない。

今日、なんかあった?
…ううん、別に

その「別に」が、いつもより冷たく聞こえた。
食後、ようやく口を開いた妻はこう言った。
アイ:さっき…ずっとスマホ見てたでしょ。ちょっと手伝ってほしかったけど、言うのも疲れてしまって…

……ごめん。気づかなかった
言わないと伝わらないのはわかってるけど、私が言わなくても気づいてほしい...

妻の言葉は責めるものではなく、どこか寂しそうだった。
でもその中に「わかってもらえない」という苦しさがにじんでいた。
“察する”って、どうすればいい?
日本では「空気を読む」「察する」文化が根づいていると言われます。
でも、本音を言うと私は察するのがとても苦手です。
ましてや、相手がHSPで、感情の機微がとても繊細だったりすると、
「何に気づくべきだったのか」がまったくわからない時もあります。
そんなとき、私は自分を責めていました。
「また傷つけてしまった」
「なんで気づけなかったんだ」
でもある日、ふと思ったのです。
“そもそも、完璧に察するなんてできるの?”
それから少しずつ、自分の考え方を変えていきました。
「察する」のではなく、「聞く・観察する」へ
私が変えたのは、「察する=超能力」ではないという認識です。
代わりに、こんな行動を意識しました。
- いつもと違う“表情・動き・沈黙”に気づくよう心がける
- 無理に詮索しない。けれど「気にかけてるよ」という雰囲気を伝える
- 本人が言葉にできるタイミングまで待つ
あるとき、夕飯の片づけ中に、妻が急に俯いて動きが止まったことがありました。

なにかあった?今、話したくなければ無理しなくていいけど
今日、仕事でちょっと辛いことがあって

そう声をかけたら、数分後にぽつりと話しはじめてくれました。
このとき、「察してもらえた」ではなく、「気にかけてもらえたこと」が嬉しかったのだと、後で妻が話してくれました。
「察して」は、きっと「そばにいて」の意味
「察してほしい」という言葉の裏には、
「自分の気持ちに気づいてくれる人がそばにいてほしい」という願いが込められているように感じます。
だから私は、「100%察すること」はできなくても、
「あなたの変化に関心をもっているよ」という態度を大切にするようにしています。
そして、できるだけ“言葉にしやすい空気”を作る。
黙って一緒にお茶を飲んだり、そっと肩に手を添えるだけでもいい。
そういう小さな積み重ねが、「察して」に近づく道なのかなと感じています。
まとめ:完璧に察しなくていい。けれど、心を向けることはできる
HSPの妻との暮らしは、毎日が小さな気づきの連続です。
時にうまく寄り添えず、すれ違いもあります。
でも、「察するのが苦手」だった私でも、少しずつ妻との距離を縮めることができました。
完璧な正解なんてありません。
でも、「あなたのことを大切に思ってるよ」という気持ちが伝わるように、
自分の言動を見直すことはできます。
「察して」――その言葉に戸惑ったら、まずは「そばにいるよ」と伝えてみてください。
きっと、そこから関係が少しずつ変わっていきます。
Maru